シュレディンガーの猫のジレンマ

今から書く文章は
南堂久史氏の「シュレーディンガーの猫の核心」
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/catwjs.htm
をどくりんごが読んで、色んな部分を引用したり参考にして書かれた文章です。
私は物理屋じゃないので難しい事は分からんし
あっているのか、間違ってるなんかなんて知ったこっちゃないです。
そのあたりふまえて読んでくださいね。






【 エピソード1 】


男が女に求婚した。
「きみが好きだ。結婚してくれ」
 しかし女は迷った。
「困ったなあ。あなたのこと、半分だけ好きなの。半分だけなら、結婚してもいいわ」
「半分結婚なんて、ありえないよ。結婚するか、結婚しないか、どっちかだ。どっちにするか、とにかく決めてくれ」
「そんなこと言っても、半分好きなんだから、しょうがないでしょ。決められないわよ」


 白黒で決められないものを、白と黒のどちらかに無理に決めようとすると、ジレンマが起こる。
 ……これが実は、「シュレーディンガーの猫」の本質だ。



南堂久史氏の「シュレーディンガーの猫の核心」から引用。






シュレディンガーの猫」という量子学の世界では有名な話がある。
ふたのある箱に、猫と青酸ガス発生装置を入れる。ラジウムガイガーカウンター(放射能検知器)も入れておく。
ラジウムアルファ崩壊すると、ガイガーカウンターが反応すると、毒ガスが発生して猫が死ぬ。


難しい事を理解する必要はない。
ラジウムという物質が崩壊すると猫が死ぬ。それだけの話。
さて、それではこの箱に猫を入れて1時間様子をみました。
このとき、猫は死んでいるのか生きているのか。



ふたを開けてしまえば一目瞭然だが、
ここで問題にしたいのはふたを開ける前の状態。



通常の感覚で論ずるなら「猫は生きているor死んでいる」のどちらかの状態であると考える。
しかし、量子論ではこのように回答しない。
「猫は生きているし死んでいる。つまり、生と死を兼ね備えた状態だ。」となる。
ふたをあけるまでは猫は生と死の両方を重ね合わせた状態で、開けて観察して初めて猫の状態が確定する。
と、なるのだ。





 【 エピソード2 】

 女に言われたあとで、男が決めつけた。
「半分好きだということは、好きな状態と好きでない状態とが、重ね合わせになっているんだ」
 しかし女はいぶかった。
「重ね合わせ? それ、どういうこと?」
「体と体の重ね合わせじゃないよ」
「ふざけないで」
「いてっ。ぶつなよ。……つまりね、心と心の重ね合わせのことさ」
「あなたとあたしの?」
「じゃなくてね。きみ自身の心と心」
「どういうこと?」
「きみのなかに、二つの心がある。一つの心は好きだと言っているが、もう一つの心は好きでないと言っている。きみのなかに、二つの心が共存しているんだよ」
女は呆れた。
「あなた、馬鹿じゃないの? 心の平均値の計算なんかしないで。あのね。半分好きだということは、好きと嫌いがいっしょにあるということじゃないわよ」
「じゃ、何なのさ?」
「どちらでもあるんじゃなくて、どちらでもないのよ」
「え? 半分好きって、そういう意味かい?」
「当り前でしょ」
「僕のこと、好きでも嫌いでもない、ってこと?」
「まあね」
「そうかなあ」
「でも、そうなの」と断言した。「まだわからないの? あなたって、女心がちっともわからないのね」
「だって、物理学者だから……」
「ふん。こんなことじゃ、物理のことだって、どれだけ知っているか、怪しいもんだわ。あたしの方がよく知っているかもよ」
 そう言われてみると、男は何だかそんな気がしてきた。
南堂久史氏の「シュレーディンガーの猫の核心」から引用。





そもそも、量子を通常の感覚で論ずることが間違いであると思う。



最も親しみのある量子の話ってのは、電子かな。
高校の時に習った、原子のモデル図を想像して。
原子核の周りを、電子がグルグル回ってるよー という、あの図である。
でもあの図は間違ってます。
なぜなら、電子小さすぎて観測することができないから。
その代わり、電子の軌跡は観測する方法がある。
しかし、電子というのはやっかいなヤツで、
突然その軌道を変えるのである。しかも、次はどの軌道を取るのか予測が出来ない。
電子の存在は「こういう軌跡があるから、電子ってのはこのあたりを通るったらしい」との観測に基づいてのみ証明できる。


つまり、実際に存在することは確かだが、
今この瞬間どこにあるのかを正確に知ることは出来ないし、
次にどの場所に行くかも分からない。
だから、今電子はどこにあるのと問われても分からないし、
次のどのあたりに現れるかを確率で表すことも出来ない。
ただ、そのあたりに居たらしいと観測することで、
初めて「あったことが分かる」。そんな物らしい。







  【 エピソード3 】

 男はあらためて、女に求婚し直そうとした。
「きみは僕のこと、半分だけ好きだって言っただろ?」
「ええ」女は頷いた。
「そうか。初めは、きみのことを誤解していたよ。好きという状態と嫌いという状態が 重ね合わせ になっているんだって。……でも、それは誤解だった。ごめん」
「じゃ、どうわかったの?」
「前にも聞いたけどさ。僕と結婚するかどうか、決められないんだよね? 迷っているんだよね? 決められないまま」
「そうね」
「わかった」
「わかったって?」
「どっちとも決められないという、きみの気持ちを尊重するよ。結婚するのでもしないのでも、どっちでもいい」
「じゃ」女は不安そうに尋ねた。「あたしのことは、どうでもいいっていうこと?」
「違うよ」男は優しい目で見つめた。「僕はきみの気持ちを、あるがままに尊重する。決められない状態を受け入れる」
「どっちかに決めなくてもいいっていうこと?」
「そうさ。前はどっちかに決めてくれと頼んだ。でもそれは間違っていた。きみはどっちかに決める必要はない。決められないなら、決めなくていいんだ。未決定状態でいいんだ。そのままでいいんだ」
女はとたんに、にこやかな表情になった。
「今、やっと決まったわ。どちらにするか」
「え、どうして?」
「あなたが真実に気づいたからよ。あなたが真実を尊重するからよ。そういう人なら、あたしも愛することができる」
女は笑顔で見つめながら、手を伸ばして、男の手を優しく握った。



南堂久史氏の「「重ね合わせ」とは何か?」から引用。







全く理解に苦しむ話である。