プラトニック・ラブ


 「プラトニックラブ(Platonic love)」の意味をご存じだろうか?


巷、世間一般では『肉体的欲求とは乖離した、精神的な愛』として解釈されているようだ。




(この先は過激な内容(笑)を含むため、万人向けとは言い難く
 人により不快に感じる場合がありますので、あらかじめご了承下さい)







つまり彼らはこう言う。





男性A氏『僕と彼女は、あくまでもプラトニックな関係だったんだ…‥』




どこぞの三文小説で見たこと有るような文章である。
すでに意味を予想できるだろうが、老婆心ながら解説しておくと、
  

  ●僕と彼女は肉体関係はない(或いは、sexを目的とした関係ではない)。


つまり、『精神的に彼女を愛していた。体は二次ぎ三の次なんだ』と訴えた旨の文章である。




そして、私はこの理解に対して、苦言を呈さなければならない。
いや、あえて言おう。カス勘違いであると。
この『プラトニックラブ=精神愛』という公式は
真の意味に対して、実に限定された部分のみの解釈であり
全貌を全く知らないのだと言わなければならない。




説明しよう。
プラトニック・ラブ
和訳すると『プラトン的な愛』と言えるのだが、
まずプラトンについて少々。




プラトン』とは過去に実在した人物*1である。
超有名人なので言うまでもないだろうが
古代ギリシャの哲学者。
彼の功績は偉大で、西洋哲学の礎を築いた傑物*2である。




こんな素晴らしいプラトン氏。
彼の著書『饗宴』にこんな記述がある。


     ΠΛΑΤΩΝΟΣ ΣΥΜΠΟΣΙΟΝ



とても簡単に意訳すると「肉体関係を伴わない精神的な恋愛」といった感じ。
もっとわかりやすく言うと「体を目的に愛するセックスは駄目」*3と言ってんでしょう。
この一文が、後に『プラトニック・ラブ』として世に広がったものと思われる。



「何だ、この意味で全然問題ないじゃないか」



と思われる方が居られるかも知れない。
ごもっともな意見である。
男女間の恋愛についてという前提では全く問題は無く、
現在、幅広く理解されている意味となる。
だが、この前提が正しくないとすれば
それでも「もっともだ」と頷ける内容であろうか?


 


話を進めよう。彼、プラトン古代ギリシャ時代に生まれた。
この古代ギリシャというのが非常に“くせ者”なのである。




この時代、男性同士の恋愛が公然と行われ
中でもpaiderastia、
いわゆる少年愛非常に一般的なものであった。



プラトンも、この面については(当時としては)非常に一般的な考えの持ち主だった。
彼らは、少年同士の愛の中で育ち、成人する。
そして、一人前の男になった彼らの愛の行く先は、なんの疑いもなく少年達に向けられた。
彼らの夢は、独身のまま、男同士で生活の苦楽をともにする事にある。
ようは男のだけ楽園である。
彼らの夢の中に、女性の入る余地は無く、
あーんな事やら、こーんな事まで野郎同士でめでたく解決していたのである。



プラトンさん達には「結婚する」だの「子供つくる」といった考えは毛頭無い
こんな思想の基、執筆された本が『饗宴』なのである。
だから、「肉体に惹かれる愛よりも、精神に惹かれる愛の方が優れている」などと説けるのだ。





とどのつまり、自分のショタコンっぷりを



堂々と正当化する理論が“プラトニックラブ”の正体なのである。











ちなみに、この私どくりんごは
上記『プラトニックラブ思想』の持ち主でない事を付け加えておく

*1:紀元前427年 - 紀元前347年頃とされている

*2:彼の唱えた「イデア論」は非常に有名である。

*3:精神を目的に愛するセックスは良いらしい。