目的

こんなエントリーを発見↓
もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに
http://anond.hatelabo.jp/20080824041507



確かに。
日本って「精神論」とか「感情的」な抽象的表現や、
曖昧模糊として、明確な方法を提示する事が少ない。
枕草子の時代から「いとおかし」の文化を育み趣を大切にし、
茶道・俳諧にみられる「わび・さび」を重んじた日本にとって、
或いは当然の結果なのかもしれない。



自分が小学生のことを思い返してみた。
確かに絵を書くときは「自由にかけ」「元気にかけ」「よく見てかけ」としばしば言われたが
具体的な書き方    一点透視図法、二点透視図法にみられるパースという概念    

を初めて知ったのは中学の美術の時間だったしな。
それまでは「なんとなくこんな感じ」でやってたから
当然上手く書けなかった。



他に気になるのがスポーツ中継。
やたら「奇蹟」だの「気合い入れて」だの「根性で」だの言う解説者。
そんな根性論的な事言ってないで
試合の展開や、現在直面している問題
今後の予測、どんな点に注意すべきか等
状況から予測される問題点を分かりやすく説明し、
これからどうし合い運びをするべきかを論ずるべきではなかろうか。




ちょっと論点がずれてきたのでスポーツの話は置いておきます(笑)



明確でない目的の下
自由にやれ、と言われてもどうして良いのか分からんモンだと思います。
それに輪をかけて
抽象的な事ばかり言われるか訳が分からなくなる。


こんな感じ、あんな感じ


じゃなくて、明確な方法・考え方を提示し
それを練習する方が
集中もできるし
早く上達すると思います。



抽象的なモノが全て悪いとは思いませんが、
指導する上では、色々な意味に取られる事を言われるより
「何をすべきか目的が明確にされた状態」のもとで
「考える部分・練習する部分」を提示し教えてくれるとやりやすいのかな
と、思いました。



考えが纏まってない事書いてしまいました…
読み流してください。