今まで

こんばんは。どくりんごです。m(_ _)m
かくして、このブログも第97日目を綴る事となりました。

さて、この97日目には
今まで気になって考えて、考えたけど
全く分からない。
そんな事を、この場で考察してみました。


以下の文章は、ハッキリ言って私の自己満足というか只のメモ。
思った事をそのまま書いただけの
文章と言うのも烏滸がましい文字の羅列。
正直読む価値は在りません。
それでも良ければ
どうぞお読み下さい。







 『Cogito,ergo sum』(我思う、故に我在り)
この言葉を、哲学の第一原理とし、
合理論哲学の祖とよばれるデカルト
方法的懐疑*1を唱い用いる事で、近代科学に大きな影響を与える。


すなわち、それは一般的単純な原理の論理をすじみちだて、
個々の事実の結論を導く演繹法
或いは、機械論的自然観と呼ばれ、
自然はすべからく空間的拡がりを持つ物体からなるという事実であった。






さて、その話題に上がった、私達が存在する「空間」。
その当たり前に在る『空間』とは一体何なのでしょうか。



言葉の定義として
三省堂の辞書にはこう記されてあります。



くうかん【空間】
①そこを満たしている個体や液体が何も無い△場所(広がり)。
②(物質が存在し種々の現象が起こる場所としての)上下・左右・前後の三次元にわたる無限の広がり。三次元空間。
③(数学で)直線・平面・「空間②」の総称。順に、一次元、二次元、三次元の空間と呼び、さらに四次元以上の空間にまで拡張される。



つまり、『何もない無限の広がり』を「空間」として定義してある。
「それ以上何が在るの?考えるだけ無駄じゃん」
って言われるとそれまでなんですが、どうしてもこのワードが引っかかって仕方ない。
だけど、これ以上「何も無い広がり」をどうこう論じよう筈もない。
では、別の観点から考える事にした。
空間の定義である「何もない無限の広がり」。
広義的には『宇宙』を差すのではないか?
との結論にいたり『空間→宇宙』とする。*2



というわけで宇宙について色々調べてみた。
すると色々な情報が錯綜しており一般人の私にはお手上げ。
さっぱり分からん。
だけど気になるワードは在った
『宇宙の年齢・大きさ』についてである。
以下、ウィキペディア「宇宙の年齢・大きさ」より抜粋。


宇宙の大きさを定義することは難しいが、(中略)我々が認識できる範囲という意味での「宇宙の大きさ」と呼ぶことができる。この意味での宇宙の大きさは、光が宇宙年齢の間に進むことができる距離となるため、上記の最新の観測結果によれば約137億光年と言うことになる。 これよりも遠くに存在する「もの」は我々から光速より速く遠ざかることになるが、相対性理論によれば光速よりも速い速度で伝播するものは存在しないため、これらの「もの」に関する情報は我々には決して届かない。このため、この距離を宇宙の地平線と呼ぶことがある。


らしい。
宇宙に137億光年という大きさがあるのならば、
当然「宇宙の外」があると考えたくなるのが一般人。
だけど、私達は知ることは出来ない宇宙の外。
やはり、其処にも何らかの「空間」が在るのではと
庶民は邪推する。


詳しい理論が分からないから、
宇宙の外があって、さらにその外、外、外、外……
延々と在るのではと考えてしまう。
だったら、結局この『空間』を『存在』させている
『此処』は一体何なのか。
永遠ループで、全く分からない、謎である。



その「空間」に存在する私達は一体何なのでしょうか。
と、そう考えた時、デカルトの言葉を思い浮かべたのである。



     終わり

*1:真理を追究するために、あらゆる事を疑うこと。

*2:ただし、逆では無いので『空間=宇宙』にあらず